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きよしくんのライブを観た。いつものことだけど、きよしくんは素晴らしい。

良い音楽には必然性があると思う。逆に言えば、必然性のない音楽は良くない。良くない音楽は聴きたくないし、そんなものに時間を費やしたくない。

きよしくんのライブを観ていると、きよしくんはミュージックラヴァーで、曲を書いて、それを演奏する必然性があることがすぐにわかる。これは極めて正しいことだし、まっとうなことだと思う。この人はなんで音楽やってるんだろう?って思ってしまう人が多く存在する中で、きよしくんは音楽をやるべき人だし、やるべき人がやるべきことをやっていることによって、それを聴いて、観るこちら側もハッピーになれる。

通り魔とか電力会社とかろくなニュースがないけど、そういう中で、良い音楽(広義でアートと言ってもいいけど)っていうのはポジティヴな意味がある。良い音楽を聴いている間だけでもハッピーになれる。別に歌詞の内容とかその人の姿勢とかパブリックイメージがが社会的、政治的じゃなくても、優れたアートはその存在自体に社会的な意味があり得ると思う。大袈裟な言い方かもしれないけど、きよしくんの音楽にはオレにとってはそういう意味がある。

http://curlygiraffe.com/

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この帽子いいね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日にホームセンターに行こうと運転してて、勝手にランダム選曲になってたiPodに入ってたジョイ・ディヴィジョンが急に流れた。

個人的に、ポストパンクのバンドではジョイ・ディヴィジョンが最高だと思う。最初の音
が鳴った瞬間に全てが変わっちゃうような気がする。ヘタだけど、その必然性とアイデアは時間がこれだけ経過しても誰もそのレベルに到達できていないと思う。

以前新横浜の競技場でのデカいイヴェントに永ちゃんのライブを撮りに行った。そのイヴェントにレッチリが出てて、何かのタイミングでジョイ・ディヴィジョンのトランスミッションのイントロだけ演奏してた。この曲のオリジナルを知ってる人ってこの数万人の中に何人いるんだろう、って思った。

ジョイ・ディヴィジョンは観たこと無いけど、ニュー・オーダーはフジロックで2000年ぐらいに観た。メインステージでニール・ヤングが始まって、奥のステージにジョイ・ディヴィジョンを観に行って、終わって戻ってきたらまだニールヤングやってた。確か茂木が一緒だったと思う。てことはブッチャーズに同行したのかな。いきなりアトモスフィアだかラヴ・ウィルだかやったんでビックリした。で、ビックリするぐらいヘタだった。それがまた良かった。20年やってて全く上手くならないって、ある意味悟りじゃん、とさえ思ってしまった。

以前、JBを武道館で観たことがある。JBは私生活では奥さん殴って刑務所に入ったり、結構どうしようもない人。だけど、ステージで奇声を発して倒れて、たまに歌うだけでこれだけの人が感動させることができる。JBもイキイキしてる。多分JBは音楽やっててこそなんだろうな、音楽やってないとダメなんだろうな、そう考えたらエラく感動してしまった。JBに必然性があるのは当然といえば当然だけど。

だから、音楽に対する必然性という意味で、ジョイ・ディヴィジョンとCurly Giraffeは同じだと思う。JBも。もちろん、方向性はそれぞれ異なってはいるけど。