0628
昨年3月までは船を横付けしてたらしいんだけど、3月以降縦に付けるようになったのだそう。
0619
塩釜駅近くの寿司屋で食べたホヤ。奥は中トロのあぶり。この店はどれも美味くて、あんまり美味くて途中から何がなんだかよくわからなくなった。桃太郎寿司も凄く好きなんだけど、桃太郎より全然美味かった。そりゃそうか。
この日の午前中に東京を出て、仙台に着いたのが14時過ぎ。そのあとロケハンというか下見を2件、営業1件、なんかちょっと疲れてて写真とかどうでもいいやって思ったらブレちゃった。この店は夜21時までで、この写真を撮ったのが19時46分。辺りはほとんど暗かった。
夜だからよくわからなかったけど、塩釜は良い雰囲気が残っている街だと思う。変に再開発とかしてどこにでもあるようなつまらない街にはしないでもらいたい。
本来ならこの後4時間ぐらい寝なきゃいけなかったんだけど、布団の中でいろいろ考えてたら全く眠れず。最悪。一睡もせずに人生初の漁船乗船となってしまった。
0613
高校の時に、最初に買ったレコードはこれ。ここまでにパンクとか2トーンとかは一通り聴いてて、なんでこれを買ったかというと、周りで誰も持ってなかったから。貸しレコード屋にも無かった。
渋谷のタワーだかWAVEだかシスコだか、どこで買ったんだろう。憶えてないけど。CSV渋谷、HMVはまだ無かったと思う。いまはもうタワー以外全部無いけどね。
何かの撮影の時に服にStiff Little Fingersのバッヂ付けてたら、ライターの人に「いまそんなの付けてるの日本であなただけですよ」って言われた。「そんなことないですよ」って言い返した。確かにマイナーだけど、別にそんな言い方しなくてもいいじゃねえかと思った。ライターって権威主義みたいなのがある人いるよね。自分がそのバンドとか音楽を作ったわけでもないのに。
0612
最近こればっかり聴いてる。このひとはヘタウマだと思ってたんだけど、実はウマヘタというか、歌唱力自体はかなり上手い。それをちょっと崩してるというか。こんな曲書けてこんなに歌えたらいいよな、そう思う。
前作のMonsters In Townが良いのはもちろんだけど、このアルバムはゆったりした展開の曲が多く、一般的にはゴスペルっぽいとかソウルっぽいって言うんだろうけど、いまはそれが良い。
あと聴いてるのは、音はそんなに良くないけど、
ま、ずっと昔から聴いてるんだけど。この時期のオフィシャルのライブってスティッフのライブ盤以外だとこれしかないから。
このチラシ持ってた。ドアにずっと貼ってた。ていうかこのライブ行った。撮影してそのまま家帰って現像してプリントして、翌日メンバーが宿泊してるホテルに持って行ってメンバー全員に写真渡して、前の日に撮ったイアンの写真にイアンのサインもらったんだよな。これは宝物になってる。だってそうだよ。オレが撮ったイアン・デュリーの写真にイアン本人にサインしてもらったんだから。そんな機会ってそうそうあるもんじゃない。イアン・デュリーとかジョー・ストラマーに会いたくてカメラマンになったようなもんだったから。もうこの時は残念ながらチャーリー・チャールズはいなかったんだけど、でもそれ以外はフルオリジナルメンバーだった。握手したときのノーマン・ワット・ロイの手の指が葉巻みたいに太くて長かった。それが一番ビックリした。あれを弾くにはあの指あってこそなのか……………….そう思った。
0608
きよしくんのライブを観た。いつものことだけど、きよしくんは素晴らしい。
良い音楽には必然性があると思う。逆に言えば、必然性のない音楽は良くない。良くない音楽は聴きたくないし、そんなものに時間を費やしたくない。
きよしくんのライブを観ていると、きよしくんはミュージックラヴァーで、曲を書いて、それを演奏する必然性があることがすぐにわかる。これは極めて正しいことだし、まっとうなことだと思う。この人はなんで音楽やってるんだろう?って思ってしまう人が多く存在する中で、きよしくんは音楽をやるべき人だし、やるべき人がやるべきことをやっていることによって、それを聴いて、観るこちら側もハッピーになれる。
通り魔とか電力会社とかろくなニュースがないけど、そういう中で、良い音楽(広義でアートと言ってもいいけど)っていうのはポジティヴな意味がある。良い音楽を聴いている間だけでもハッピーになれる。別に歌詞の内容とかその人の姿勢とかパブリックイメージがが社会的、政治的じゃなくても、優れたアートはその存在自体に社会的な意味があり得ると思う。大袈裟な言い方かもしれないけど、きよしくんの音楽にはオレにとってはそういう意味がある。
翌日にホームセンターに行こうと運転してて、勝手にランダム選曲になってたiPodに入ってたジョイ・ディヴィジョンが急に流れた。
個人的に、ポストパンクのバンドではジョイ・ディヴィジョンが最高だと思う。最初の音
が鳴った瞬間に全てが変わっちゃうような気がする。ヘタだけど、その必然性とアイデアは時間がこれだけ経過しても誰もそのレベルに到達できていないと思う。
以前新横浜の競技場でのデカいイヴェントに永ちゃんのライブを撮りに行った。そのイヴェントにレッチリが出てて、何かのタイミングでジョイ・ディヴィジョンのトランスミッションのイントロだけ演奏してた。この曲のオリジナルを知ってる人ってこの数万人の中に何人いるんだろう、って思った。
ジョイ・ディヴィジョンは観たこと無いけど、ニュー・オーダーはフジロックで2000年ぐらいに観た。メインステージでニール・ヤングが始まって、奥のステージにジョイ・ディヴィジョンを観に行って、終わって戻ってきたらまだニールヤングやってた。確か茂木が一緒だったと思う。てことはブッチャーズに同行したのかな。いきなりアトモスフィアだかラヴ・ウィルだかやったんでビックリした。で、ビックリするぐらいヘタだった。それがまた良かった。20年やってて全く上手くならないって、ある意味悟りじゃん、とさえ思ってしまった。
以前、JBを武道館で観たことがある。JBは私生活では奥さん殴って刑務所に入ったり、結構どうしようもない人。だけど、ステージで奇声を発して倒れて、たまに歌うだけでこれだけの人が感動させることができる。JBもイキイキしてる。多分JBは音楽やっててこそなんだろうな、音楽やってないとダメなんだろうな、そう考えたらエラく感動してしまった。JBに必然性があるのは当然といえば当然だけど。
だから、音楽に対する必然性という意味で、ジョイ・ディヴィジョンとCurly Giraffeは同じだと思う。JBも。もちろん、方向性はそれぞれ異なってはいるけど。
0603
いつもここで野球をやっている。羽田の方の大井ふ頭中央海浜公園。こうしてみると平和な風景に見えるけど、実際は平和じゃない。試合前はいろいろな事を考えて、時にはイライラしてる。日曜日に野球ができるということは幸せなことだけど、ことが勝負事だから、何も考えずに楽しくやれるのなんて本当にどうでもいい試合の時だけ。大事な試合の時ほどいろんなこと考えてる。
一度大会で優勝なんかしちゃうと、それはもう麻薬になる。もっと強い刺激がないと面白くなくなる。だからどんどん強くなってくる。自分達も強くなるし周囲も強くなる。どうでもいい試合なんかあんまりやりたくなくなる。自分のチームはある程度のレベルには達してしまったから、今度はそれを維持するのが大変になる。良い状態と悪い状態が周期的にやってくる。その度に、もう潮時かなーって思うことがある。それを何度か経験すると一瞬だけ、テキトーでもいいかー、って思えるときもある。でもそれはホントに一瞬でしかない。